朝。
鏡の前で制服を着ようとして、思わず息を呑んだ。
ボタンを留めようとするたび、胸のふくらみが押し返してくる。
“ぱつん”という小さな音。
シャツの隙間から、薄い肌色がちらりとのぞいた。
「……もう、無理……かな……」
笑って誤魔化してみても、頬が熱い。
布越しでも、自分の胸の“重み”を感じてしまう。
ゆっくりと指先で触れると、そこには確かな柔らかさがあった。
(ほんとに、俺……わたし……女の子になっちゃったんだ……)
押すと“ゆっくり”沈んで、“じん”と熱が返ってくる。
皮膚の下に新しい感覚の層ができたみたいだった。
胸だけじゃない。腰のあたりも、いつのまにか丸みを帯びている。
くびれたラインがTシャツの裾をやさしく押し上げていた。
言葉遣いや仕草を修正するのにはもう少し時間が掛かりそうだけど、“元男”なんて事は誰も思わないだろう。
◆
制服を脱いで、クローゼットの奥から、昔、こっそり買ったお気に入りのチェックスカートを取り出す。
(当時は、丈も妙に短く見えて……脚もいかつくて……鏡を見るたび、現実を突きつけられたっけ)
けれど今は違う。
ファスナーを上げる指が止まらない。
布が自然に腰に沿って、太ももの上でふわりと広がる。
すべすべの肌に裏地のサテンが“吸いつく”感覚――それだけで、息が漏れた。
(ふふっ、きっと似合ってるよね……嬉しい……)
香水を少しだけ手首につける。
それは、ずっと前に買ったまま、ほとんど使えずにいたものだった。
女の子っぽい匂いが強すぎて、つけるたびに『似合わない』と思い知らされるだけだったから。
けれど今は違う。
甘くて花みたいな香りが、すっと馴染んでいく。
「……もう、何も遠慮しなくていいんだ」
そう口にした瞬間、胸の奥がふわっと温かくなる。
声も、前より少し高く、軽やかに響いていた。
スカートの裾を指でつまんで、思わずくるりと回る。
鏡の中の“わたし”が、その動きに合わせて嬉しそうに微笑んでいた。
◆
スマホでメイク動画を再生する。
鏡の中の“わたし”は、見慣れない自分なのに、不思議と違和感がない。
ファンデーションを頬にのばすと、肌がしっとりと光る。
指先が滑るたびに、まるで別人の肌を撫でているようだ。
リップをのせると、唇がほんのり熱を帯びる。
アイシャドウやマスカラで目まわりが華やかに彩られる。
「……うん、悪くない……と思う。でも、ちょっと濃すぎたかな。普段はもう少しナチュラルでもいいかも……。これも勉強だよね」
その言葉と同時に、胸の中が“きゅっ”と締まった。
嬉しいとか、誇らしいとか、そんな単純な感情じゃない。
“本来こうあるべきだった”ような、深い安堵だった。
◆
昼過ぎ、外に出る。
風がスカートの裾を揺らすたびに、太ももの内側をくすぐる。
胸が小さく揺れて、ブラのカップが“すっ”となじむ。
歩くたびに、体の重心が微妙に違う。
腰が自然に“しなる”のだ。
(歩き方、自然と変わってる……)
男だった時みたいに大股では歩けない。
けれど、それが妙に心地いい。
足の動きひとつひとつに、柔らかさが宿っていた。
ガラスに映る自分の姿を見て、息をのむ。
腰の曲線。肩のライン。胸の形。
どれを取っても、もう“男”の要素は見当たらない。
「……女の子の身体……男はみんな女の子になりたいよね」
小さく呟いた声が、甘く響いた。
◆
ショッピングモールの下着売り場。
マネキンが着た、レースで彩られたラベンダー色のブラとショーツが目に留まる。
「わぁ…可愛い……」
周りの女性たちと自分の間に、もう境界はなかった。
「何かお探しですか?」
店員さんの声が耳元で柔らかく響く。
その声に、背筋がすっと伸びた。
「あ、はい……そこの紫色の下着を……」
店員さんが微笑んだ。
「お客様、色白で肌もきめ細やかですね。淡い色がきっと映えますよ」
頬が自然に紅くなる。
褒められたのが、こんなに嬉しいなんて。
試着室に入ると、鏡の中に立つ“女の子”が微笑んでいた。
ブラをつけると、胸の形が自然に持ち上がる。
ストラップを調整するたび、身体が“自分のものじゃない”ような不思議な快感に包まれた。
腰をひねると、レースのショーツが柔らかく食い込み、
骨盤の丸みに沿ってぴたりと吸いつく。
(……良かった!わたしを女の子として接してくれる!)
鏡に映る自分を見つめながら、そっと呟く。
「やっぱり、わたしは女の子がいいな……」
その声は、昨日よりもずっと甘く響いた。
◆
モールを出た瞬間、夕方の風が髪を撫で、香水の匂いがふっと舞った。
その香りは、今のわたしを祝福するように甘く滲んでいた。
(この身体で、男の時を知ってる誰かに会いたい……な……)
そんな気持ちが、胸の奥で小さく灯る。
幸福と期待が混ざり合い、
“新しいわたし”が静かに息をしていた。
【3章へつづく…】
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