と、考える事がある。
大前提として、ネタバレは七つの大罪を凌駕する大罪である、読本の醍醐味は新たな世界との邂逅であり、それを他人の口から聞いてしまうというのは、そもそもその作品を読み進めていく楽しみを奪われる事となる。他にも、マーダーミステリー、サスペンスドラマなど、『犯人が誰か』という推理を行う事をメインのコンテンツに据えている作品は、小さなネタバレが致命傷に繋がる。
先に犯人を知ってしまったそれらは、終わりに向かって小出しにされていく手がかりやヒントが、満点のテストの解答解説を一文字ずつ見せられているような感覚に変わっていくと思えば、これらの作品に関するネタバレが如何に致命的な物と成り得るか理解できるだろう。
ネタにされがちな〇〇が死ぬ、といったネタバレも酷い。読む前に「このキャラが死ぬんだよ」と知ってしまったら、以降そのキャラの事を好きになる度に、未来予知の如く死の影がチラつくのだ。さながらそれは、旅の途中でたまたま立ち寄った勇者に思いを寄せる村娘のような心象である。いずれ居なくなるとわかっている存在を好きになるというのは、時限爆弾のタイマーを起動させるようなものだ。本人の意思とは全く無関係に。
さて、ここからが本題。『では、ネタバレは何があっても決していけない事なのだろうか』という問いに、僕は否と答える。
理由としては、ネタバレ全開で話す感想の方が、見えない何かの視線に怯えながら話す感想よりも、ずっと面白く濃密になるからである。本当は言いたい、〇〇が死ぬシーン驚いたね!とか、〇〇が犯人だっていうのどれどれの段階で気付いた!とか。
そういうネタバレを前提に置いた感想を言う事は、とても楽しいのである。では、どんなネタバレが許されて、どんなネタバレが許されないのだろうか。
※以降話す『許せないネタバレ』『許せるネタバレ』は何人かに意見を取ったとはいえ、ベースは僕の主観であり、誰かに怒られない事を保障する物ではない。あくまで個人の意見の域を出ていない事は留意しておいてほしい。
●許せないネタバレ
公開中の映画のネタバレ、『犯人』に関するネタバレ、TRPG・マーダーミステリーに関するネタバレ(特性上、犯人が解ったらコンテンツそのものに参加できなくなる)、週刊誌・月刊誌作品の単行本が出ていない段階でのネタバレ、媒体がSNSの場合、TLで話題になっている作品のネタバレ(話題になったから見てみよう、と興味を持った人が唐突にネタバレ死をしてしまう可能性がある為)、~~ってどんな作品なの?と聞かれた作品のネタバレ、リメイク予告が上がった作品のネタバレ。
要するに、これからコンテンツに触れる可能性の高い人の前ではネタバレには配慮しようね、という意味合いである。コンテンツの売上が増えれば続編や別メディア展開が増えるし、自分にもメリットがある。中には、ネタバレを避けつつコンテンツの素晴らしい紹介をする者もいるが、大変難しい。
●許せるネタバレ
劇場公開が終わった後の作品で、展開やトリックの大枠に関するネタバレ(犯人名は基本的にNG)。SNS媒体などの場合、最近TLで誰も話題に出していない作品。周りにその作品を過去に通った人しかいない場合の会話でのネタバレ。
僕個人としては、何らかの媒体で時を選ばず作品が見られるようになってから1年間が経過した作品のネタバレは、例え犯人が解る物であっても許せるのだけれど、新規流入によるコンテンツの繁栄とかそういう事を考えて上記のように二分することを考えた。
結局の所、ネタバレにおける一番の被害は、早期のネタバレで重要な事を知ったばかりに作品を買う事を辞めてしまった人が与える作家の方々への経済的な被害である。
作品を愛するからこそ語りたい気持ちもわかるが、ぐっとこらえて作品の繁栄を願おう。そして、同志たちと語り尽くすのだ。それがきっと、一番美しいネタバレの形なのだと思う。