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縷々道 生我
縷々道 生我

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喜怒哀楽は心のバランス感覚


だなって思った。


この前、エモクロアTRPGというシステムを配信にてプレイさせてもらった。TRPGには自分のキャラを演じる為のキャラクターシート(演じるキャラのパーソナル情報を記入した物)を作成する必要がある。


エモクロアTRPGは、人の感情に作用する怪異が出現するという根本的な設定がある為、PC(プレイヤーキャラ)はそれぞれ自らが表に出している感情、裏で秘めている感情、自らのルーツとなる感情の3つを設定しなければならない。


僕は、貧困家庭に生まれた剣道部のエース、というキャラクターだった。他の二人が先にキャラを作成して、戦闘要員がいなかったから何か武術をしているキャラにしたかった、という裏事情もあった物の、この子は一体どういうキャラなんだろう、と考えながらシートを埋めていくのは楽しかった。


配信で語ることは無かったが、PC側は3人とも幼馴染という設定、僕のPCの表に出ている感情(周りからどう見られているか)は『恐怖』、つまり剣道部の物静かなエースとして周りに怖がられている。武道に特化した人間は何となく、近寄りがたいイメージがある物だ、生存本能を脅かされるのか、気真面目そうな、面白くなさそうなイメージがあるからか。


一方で、彼の秘めた感情は『劣等感』、劣等、上等、という概念は比較対象があって初めて生まれる物だ。彼は自らの生まれに対して劣等感を持っている……というわけでは別にない。一瞬僕もそのような設定を考えたが、その劣等感を10代の青年に持たせるのは創作の中とは言え躊躇ってしまった。社会的な感情は社会に出てから学べばいい、彼らが行うべき高等学習にそんな俗世間じみた感情は不要なのだ。


では彼は、一体何に劣等感を感じているのか。答えは、幼馴染である周りのPCである。驚く程の頭脳明晰さ、天性の明るさ、そういった物に彼は狂おしい程の劣等感を感じている。青少年特有の未熟さが、周りの価値が彼の価値よりも優れていると誤認させているのだ。


そして、それらの根源にある感情は『友情』彼は、彼女らの友情を大事にしている。


しかしいつしか、輝いて見える彼女たちに比べて自分は一体何なんだろう、と周囲を拒絶するような態度を取り始めた。劣等感を払しょくする為、バイトに部活と、自らを徹底的に鍛え上げる。全ては3人で楽しく過ごしたあの日々を取り戻す為。ただ、話の流れの中で、彼は再び3人で苦難に立ち向かう事となる。詳細はネタバレになる為防ぐが、最期、彼が『また3人で遊べるのは嬉しいな』と発言したのは、今まで感じていた劣等感が全て自分で作り上げたハードルである事に気が付いたからだろう。エモクロアTRPG『新薬:きさらぎ駅』は彼にとってはトゥルーエンドの物語であった。


キャラシートを作っている内に色々な人間の感情について考えていた。例えば人前で怒る事が出来ない人間がいる、例えば涙を見せる事は格好悪いと思う人間がいる。あまりヘラヘラする事を好まない人間だっている。そういった人間は何処かで普段抑え込んでいる感情を発散する機会があるのだろうか。でなければ、沸き起こる感情の乱高下を自分の中で殺しているのだろうか。


思うに感情とは、三権分立制だ。お互いがお互いを御し合って、抑止力となっている。例え楽感情だろうが喜感情だろうが、行き過ぎた感情は偏った思考を生む。まるで一本の足が長くなり過ぎた四足の動物のように、歩く事すらままならなくなる。四本の脚それぞれが大地と触れ合って、同じように体重を支え続けて、感情という物は均衡がとれた状態になるのだろう。


僕には人間の感情の機微が解らない、だから思考する事しか、推理する事しかできない。故に、君達を時折羨ましく思う。喜べる君達が、楽しめる君たちが、哀しめる君達が、怒れる君達が……。


思うに、君たちの心の安寧を保つために大事な事はただ一つだ、与えられたものを使って生きろ、それだけだ。自らの手札を一枚縛って生きるのは、人生にこなれた後でも悪くないだろう?

喜怒哀楽は心のバランス感覚

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