禁足地、入ってはいけない場所。神社や寺院にある、内部に入ることが禁じられた区域。禁足地は何故『禁足地』なのか、そしてその中には何があるのか。これは、僕が数年前にとある禁足地に入った時の記録である。
きっかけは、民俗学関連の文献を読み始めた事だった。そこで僕は禁足地の存在に初めて触れた。曰く、近づくと祟られる異形の木、寺院の奥に眠る鬼の首、そんなエピソードを読み漁った僕は『自分も禁足地に入ってみたい!』と思い立つ。
かといって、神社は魔力が弱まるので、魔法で無断侵入したりするのは難しいし……と思った僕は、近隣の大きめの神社に電話をしてみた。その神社は数年前に一度禁足地を観光者向けに期間限定で開いた事があり、お願いすれば入れてもらえるかもしれないと玉砕覚悟で連絡をした。
結果はなんとOK、勉強のために入りたいと主張したのがどうやら神主である老人の琴線に触れたらしい。
『君みたいな勉強熱心な子に見てもらえるのは光栄だね』
「ありがとうございます(貴様より年上だがな)」
『おうさ、君のお友達も連れておいで』
「はい……スー……アノ、ハイ、多分一人で、御伺いします」
こうして僕は某所の山奥にある神社に向かった。
『思ったより若い人が来たね、大学生かい?』
「いえ、でも少しこういう事に興味があって」
暫く老人との談笑を楽しんだ後、彼はにこやかに「こっちだよ」と僕を神社の横にある鉄扉へと連れて行った。『コノ先禁足地、入ルベカラズ』そんな看板が立てかけてある。
本当にこんな看板があるんだなあ……なんて思いながら、先に進む。此処から見える範囲で内部に変わった所はない、膝くらいの高さの草が群生している獣道のようだ。
『さて、じゃあここで身体を払って貰おうか』
と言って自分の服を叩くような動作を取る、一体何のために?と思ったが僕も見様見真似で自分の身体を叩いて、タワシのような剛毛が生えたシートの上で靴の裏を綺麗にしてから、開かれた鉄扉の奥――禁足地へと足を踏み入れていった。
門の中を進んだ先は、一言でいえば『異界』だった。門の外に比べて明らかに空気感が違う。神の気配を間近に感じるとか、そういった曖昧な感覚よりももっと鮮明な違いがある。
まずは匂い、濃い、草の苦みが鼻腔に広がるほどの濃い緑の匂い。慣れない香りに思わず眉を顰めると、老人は笑った。
『禁足地の中はね、自然が隔離されているんだよ。入る前に皆に服を払って、靴の裏を擦ってもらって、外の種子を持ち込まないようにしているからね。』
嗚呼、そういう事だったのか。靴の裏や服にくっついて運ばれる種子、それを徹底的に排除する事によって、外来種の侵入を防ぎ、ここの自然は保たれてきた。
時を経ても、何物にも汚される事なくただそこに在り続けた日本の原風景、箱庭の中に保管されてきた歴史、そう考えるとまるでタイムスリップしたような眩暈を覚える。
『さて、あそこが祠だよ、写真は撮らないように、そして触りもしないようにね』
少し歩いた先にあった最奥に見えるのは、ぽつんとした祠。一度建て直したのだろうか、そこまで外装に汚れは無い。祠の中には地蔵像のような物が祀られている。合掌しているから慈母地蔵尊だろう。何となく手を合わせてからそれをじっと見る。像に表情は無いのだが、何となく笑っているように見えた。
『お地蔵さんと言うのは元々水子供養のために建てられるものでね』
不意に老人が声を掛けてくる。
「水子、産まれる前に亡くなった赤ん坊ですか」
『流石に詳しいね、勉強熱心な子だ。この近くでは7歳までになくなった子供の事を指したりもするんだけどね』
老人はぽつり、ぽつりと話し出す。
『江戸時代の頃、この土地に来た高名な尼さんがその地蔵を持ち込んだそうだ。曰く、この土地には水子を供養する場所がない、食糧難で水子は沢山産まれるのに弔う場所がないのは可哀想だ。良ければここを水子供養の場所にはしてくれないか、とね』
『それを土地の昔の当主は受け入れた。祠は一度立て直したんだけど、地蔵はその当時の物を使っているから随分と古いだろう。』
確かに、地蔵は古めかしく、所々が打ち欠けたりしている。にしても、その尼は中々とんでもない人物だ。神社に役割を外から持ち込もうとするとは。
「その尼さんは、どんな方なんですか?」
『八百比丘尼、日本一有名な尼さんだよ』
驚いた、人魚の肉を食べて不老となった伝説上の尼僧、八百比丘尼。彼女が寿命を持つ事が出来なかった水子を弔うために取り組んでいるというのは、ある意味相応しいように感じる。
しばらく話を聞いた後、僕は老人と別れた。
ある神社の禁足地の中には、呪いも、祟りも無かった。そこに在ったのは、日本の原風景と、伝承上の存在が確かにそこにいたという足跡だけだった。
僕は神社に一礼して、どうやってこの話を、意味を解釈しようか考えながら帰路につくのだった。