攻め込んできた勇者は大層強く、魔王様と僕は逃げ延びるので手一杯だった。
そして僕は、居場所と家を失った。
色々な人に心配されたりもしたが、僕は割と楽観的な性質なのでそこまで気に病んでいなかった。むしろ魔王様の方が僕のことを気に病んでいた気がする。僕の親のような人だから当然かもしれないが、自分の方が余程大変だろうに。
さて、Twitterには4月以降の僕の苦労についてはほとんど書いていなかった……というか、書かないようにしていた。あまり同情を買うような発言をしたくなかったのだ。これは高潔さではなく、弱い部分を見せようとしないプライドの高い部分から来る見栄なので、褒められたような理由でもない。
しかし、この記事では4月に僕の身に降りかかった出来事をありのままに書いていこうと思う。ありのままを書くので大したオチはないが、最後まで読んでくれたら嬉しい。
4月10日(月)天気:雨
前に住んでいる場所を引き払った日だ。引っ越しの費用で随分とお金のない思いをしていた僕は、退去費用をなるべく抑えようと家の掃除を始めた。とは言ったものの、僕は元々かなり殺風景な部屋に住んでおり、物の整理はすぐに終わった。
あとは机や家具の足がフローリングに刻んでしまった跡を何とかしないとな……。しかし、僕に家の修復に関する知識などあるはずもなくネットの海を彷徨っていると、スチームアイロンを使ってフローリングの凹みを改善する方法があった。インターネット最高!たまたま所持していたスチームアイロンでフローリングの凹みを直した。
大家人間からは、退去費用は家の損耗具合にもよるが、平均で2,3万円かかっているから、そのくらいは覚悟して欲しいと言われていた。しかし、退去日当日に請求された費用はわずか1600円だった。大家人間から綺麗に使ってくれてありがとうね、とお礼を言われた。とんでもない、お世話になったのは此方なのだから。僕は、大家人間よりも深く頭を下げた。
4月25日(火)天気:晴
深夜に魔王様から突然電話がかかってきた。僕が電話でのコミュニケーションを好まないことを知っている魔王様にしては珍しい、しかも深夜に。僕が電話に出ると、魔王様は開口一番に行った。
「お父様が死んだ。」
時が止まったような気がした。お父様とは魔王様の育ての親、つまり僕からすればお爺様のような存在だ。以前からベッドに臥せっていて、もう長くはないだろう……と3年前から言われていた。それゆえに、驚きはしなかった。
ただ、お疲れ様でした。と思った。節々が痛む身体を抱えながら、自由に生きられないのは辛かっただろう。僕はすぐにお爺様の家に向かった。
僕の思い出の中のお爺様は、とにかく趣味の多い人だった。僕の胸に強く残っている『趣味が多い人は、どの道も極めることは難しいけど、色々な人と話が出来るようになる。』という言葉を残してくれたのも、このお爺様だ。
お爺様の亡骸は、こんな人だっけ?と思うくらいに痩せていた。でもそれは、様相が変わってしまうほどに病と闘ったお爺様の勲章だ。ありがとうと、さようならを沢山伝えて、お別れをした。
葬式の時、泣くことはなかった。悲しくても涙が出ない自分が嫌だった。
4月28日(土)天気:曇
昨日はお爺様を火葬したが、今日は結婚式に参加した。
冠婚葬祭って連続で行うことがあるんだね、知らなかった。
これを読んでいる人の中には不謹慎だと思う人もいるかもしれないが、新郎(知り合いの魔族)に許可を取ったうえで来たのだから勘弁してほしい。それにしても不思議な話だ、前日に葬式を行った者は縁起を担いで辞退する……というのが普通の流れの気がする。いや、あまり行ったことがないから良くは知らないケド。
しかし彼は、僕に来て欲しいといった。
その理由はすぐにわかった。新郎新婦の親御さんが入場する時、新郎側からは父親が一人で出てきたのだ。それも、女性の写真をもって。
父親曰く、結婚式の一週間前に闘病中だった新郎の母が亡くなったらしい。彼が特別仲の良いわけでもない僕を縁起を度外視して呼んだのは、彼も同じ境遇だったからなのだろうか。
彼が親御さんと言葉を交わして泣いているのを見て、僕はお爺様の事を思い出して泣いた。友人の結婚式で泣く男友達、そこそこ異様な光景だったかもしれないが、ハンカチで目許を抑えて嗚咽を漏らすのを耐えただけ褒めて欲しい。
式が終わった後、新郎に呼ばれてお礼を言われた。
お互い、亡くなった人の話はしなかった。
結婚式場は、別れを惜しむ場所ではないからだ。
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とりあえず今回はこれで終わり、面白い話、浮いた話が出来なくてごめんね。
でも、お爺様のことについて、ようやく人に話せるようになった。
聞いてくれてありがとう、皆。