今日はニートの日だ。
会社で「今日何日だっけー」と聞かれるたびに「今日はニートの日なので2月10日ですよ」と答えるようにしていたが、ガン無視された。
最近「キム秘書はいったい、なぜ?」という韓国ドラマを見ている。2018年くらいに制作されたもので、韓国からもだが日本からも強い支持を受けている人気ラブコメだ。私は2,3日前にネットフリックスにデカデカと表示が出てきたので、ずっと同じ番組(テラスハウス)を見てないで、たまにはドラマを見ようと思って、見始めた。人気のあるものなのだから、面白くないはずがないと思って見始めたが…
案の定面白かった。
眉目秀麗でキャリアウーマンのキム秘書がナルシストで傲慢・高圧的な唯我独尊上司(以下、副会長と呼ぶ)の下でいいように使われるのがもうイヤになってきたから退職させていただきます!というのが始まりだ。そして副会長はキム秘書がいなくなるのが辛くてオヨオヨしたりウロウロしたり調子乗って上から変なことを言ってキム秘書に嫌な顔をされショックを受ける…そうか、俺はキム秘書が好きなのか、俺らっていい感じだよな?いいえ。みたいなのが無限に続く。でも時々副会長がなんかうまいこといってキム秘書とハッピーな時間を過ごせたりする。そういう話だ。そして私は今副会長の恋愛を応援する外野になっている。キム秘書とうまくいきそうになるとサッカーサポーターのごとく「オオーオー」と言いながらメガホンを叩き、失敗すれば「アア~」と言いながら手で顔を覆い天を仰ぐ。
私はジブリ男子と呼ばれるジブリに出てくる男の子で誰が嫌いかと言われると色々だいたい嫌いなのだが、その中でも一番天沢聖司に本気で腹が立つことができる。この年齢でも。理由は一つ、「鬱陶しい」からである。ツンデレとかかわいい言葉でごまかさないでほしい、面倒・鬱陶しい・鬱陶しい。本当に良さが分からないまま私はここまで年を重ねてきた。
何故急に天沢の悪口を言ったのかというと、私はそういう高圧的というか俺様キャラクターというかなんというか…斜に構えているような、人を見下しているようなキャラクターが好きではない。今でもそうである。が、副会長のことは好きで、なんなら応援さえしている。なぜか。
理由は一つ。みっともない姿をたくさん晒してくれるからである。
副会長はキム秘書とある男がなんかいい感じに二人三脚をして周りから付き合っちゃえとかイジられてる姿を見て嫉妬に狂いその場を断って去ろうとしたら足を捻った。キム秘書の好きなデートシチュエーションを叶うべく遊園地を貸し切りにしキム秘書を喜ばせ、自分は超笑顔で絶叫コースターに乗った。副会長はキム秘書が自分の兄といい感じになるのが許せなくて電話でキム秘書を呼び出しラーメン作れとかムチャクチャ言い始めた。初めて路線バスにのったらどこに手を置いておけばわからなくてブレーキでよろけ周囲に笑われショックで項垂れた。副会長はキム秘書とうまくいきたいあまり昼間からユーフォーキャッチャーを陣取り小学生から無職だとからかわれながらも、がに股でイヌのぬいぐるみをゲットして喜びのあまりその場でぴょんぴょんジャンプをし小学生とハイタッチした。他にも副会長のみっともない姿は定期的にさらされる。これをいいように言えば「ギャップ」、そして私が思う言葉で当てはめるのなら「醜態」。しかし私は醜態をさらしてくれるキャラクターが大好きなので、副会長が好きだし彼の恋愛を応援するのだ。
醜態というと失礼なのだが…ようは、取り繕わない姿を見せてくれるキャラクターのほうが信用できるし、私も心から応援したくなる。副会長はナルシストだし金持ちなのでやはり所々いいように見えるようする。でも自爆する。それが見ていて心地いいし、それが愛嬌だとすら思うのだ。
道明寺司と同じにおいを感じる。私は2021年の終わりに花より男子をずっと見ていた。そしてその時も道明寺司をメチャクチャ応援していた。道明寺が牧野に想いを伝えるシーンでは立ち上がり拍手をした。道明寺が牧野のことが好きすぎて声が裏返ったりベッドに飛び込んでごろごろのた打ち回る姿を見ては泣けた。笑えて。
そうだ、副会長は「笑える」のである。(微笑ましいとも言える) 風真くんは「笑えない」。副会長のムチャクチャやってる姿は現実として考えたらウッとくるものがあるかもしれないが、あくまでもファンタジーなので、すべてが面白い。傍若無人なその姿も、必死な恋心あってこそだと思えば笑えてしまう。これが彼の魅力と言ってもいいだろう。
天沢のファンがいたら本当に申し訳ないが…私が苦手というだけなので、本当に…申し訳ございません。天沢のことを好きな人を私は責めません。ほんと。許してください。
そして私はいま7話を見終えて色々ゴタゴタが落ち着くのではないかと思われる8話を今から見始める。まだまだ副会長の変な姿が見れると思うと楽しみである。可哀想なのはかわいいんだね〜
寒い日々が続き、つい自ら寒さや暗さを求め、それに生産性がないと分かっていても痛みで自分を追い詰める夜が、愉快な恋愛コメディドラマで覆えてしまえるのなら、それを光と思ってもいいのだろう。やっぱり光はいくつあってもいいからね