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ジン(浜沼盡)
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ベターライフ(1)

ベターライフ・カンパニーは、その社名の通り『あなたに、よりよい人生を。』をキャッチコピーに、QOLの向上を目的とした機器の開発を行なっている。 第一営業課所属の33歳、木俣良太郎は、大学時代にこの会社の睡眠補助装置と出会い、当時悩まされていた寝付きの悪さや、彼女と別れる理由になった大きないびきが劇的に改善。睡眠が向上したことで所属していた柔道部での試合の成績も伸びた。この会社のプロダクトに惚れ込んだ木俣は、就活でも第一志望としてこの会社を受け、そのまま入社した。持ち前の体力、そして実体験を基にした営業トークなどで成績も上々だ。 「木俣くん、ちょっといいかな」 ある日課長に呼び出され、休憩室でコーヒーを片手に二人で話す。 「なんでしょうか、課長」 「実はね、開発部が新製品のモニターを募集しているらしいんだ」 「モニター?ですか?」 「ああ、なんでも今後のうちの主力商品になるものらしくてね。なるべくたくさんデータが欲しいらしいんだよ。木俣くん、確か入社試験の面接で『ベタースリープ』のこと話してたね?」 「ああ、はい」 『ベタースリープ』とは、木俣が最初にこの会社を認知した思い出深い製品だ。入社試験の面接で熱く話した木俣のことを覚えていたようだ。 「今回の製品、『ベターライフ』はその進化版らしくてね。前モデルを愛用していた木俣くんにぜひ試してもらって意見が欲しいって言うんだよ」 「え、マジですか。やりますやります!発売前の製品を試せるなんて、最高じゃないですか!」 セールスする製品はほとんどすべて実際に試しているくらいの木俣だったから、願ったり叶ったりの話だった。木俣の頭の中では既に営業トークが浮かんでいた――「俺も試作段階からテストに関わっている製品なんですよ。いやあ、めっちゃすごいですよ!」。実感のこもったトークが説得力を持つことを、木俣はよく理解していた。 それにしても。 「製品名、気合い入ってるんですね」 社名=製品名。それくらい、社運を賭けた製品なのだろう。 「ああ、そうなんだ。君の愛用する『ベタースリープ』も、実はこのための足がかりでね。もう十年以上前からの大きなプロジェクトなんだよ。これ、他の人には内緒ね」 しー、と大袈裟に指を立てる課長に、 「あ、はい。わかりました」 そう答えながら、木俣は少し興奮していた。そんな一大プロジェクトに関われることが、愛社精神の強い木俣には誇らしかった。 「じゃあ、さっそくラボに行ってもらえるかな」 「え、今からっすか?」 「ああ、今日は外回りの予定とかもないだろう?」 「そ、そうっすけど。でも」 そう言っても、当然それなりに仕事はある。 「まあまあ、特別手当も出るから、ね」 「わ、わかりました」 ぽんぽん、と背中を叩かれて、木俣は休憩室を後にする。 閉まる扉の背後で、課長が不穏な笑みを浮かべていることに、もちろん木俣は気づかなかった。           * ラボは本社の地下にある。セキュリティロックがかかっているため、入ることができるのは一部の社員のみだ。 エレベーターのパネルの下に社員証をかざすと、ぴろんと音がして認証された。エレベーターが降りていく。 エレベーターが止まった。ただ『B3』と書いてあるだけの階数表示なのに、見慣れないそれに何か居心地の悪さを感じた。 「ああ、来ましたね」 だだっぴろいラボには、男が一人。他には誰も見当たらなかった――木俣は多数のスタッフがここで働いていると聞いていたから意外だった。戸惑いつつも、 「営業の木俣です」そう言いながら手を差し出す。 「製品開発の田中です。よろしく」男もそう言って木俣の手を握った。「話は聞いていますか?」 「ええ、新製品のテストと伺っています」 「そうです。製品性能の限界テストでね、どこまでこの機械にポテンシャルがあるのかを試すんですよ。あ、そこに座ってください」 田中は全身を包むことのできる大きな椅子を示した。木俣はそれに従う。 ラボには、木俣の見たことのない製品がいくつも並んでいた。どう見ても開発途中だろうというものもある。少し不安だった木俣の心が興奮で浮き足だった。そんなことを知ってか知らずか、田中は話し出した。 「今回の新製品『ベターライフ』のテーマは『究極のリラックス体験』です。ベタースリープが質の良い睡眠の提供に特化していたのに対し、新製品は睡眠を伴わなくてもリラックスを提供できるような装置にしています。もちろん、寝ていただいても構いません」 「なるほど……」 「このあと木俣さんには体験していただきますが、眠らない状態でリラックスをすると、意識の変化を顕著に体験できます。睡眠の質が良くなるのは『よく寝れたな』という感想に留まりがちですが、覚醒時にリラックスさせられるのはそれとはまた異なった感覚ですね」 「へえ!」 木俣はうずうずしていた。そんな新製品、ぜひ試してみたい。 「まあ、今回のテストはわかりやすく言うとこの機械は人をどこまでリラックス状態にさせられるかの確認ということですね。あなたも仕事で疲れているでしょうから、これですごくスッキリできると思いますよ」 木俣は嬉しかった。そんなすごいことを試せるなんて。確かにここ数日ハードワークが続いて疲労が溜まっていた。なのでその時の木俣の頭には、これでどれだけすっきりできるだろうという考えしかなかった。 彼はいままでこの『ベターライフ』社の一員として製品を売り込んでいたが――この会社の『本当の』技術力を実のところ知らなかったのだ。この会社がここ数十年何を開発してきたか。何のために製品を作ってきたか。その『性能』がどこまでのことを可能にするのか――リラックスできるという言葉の裏の意味に気づかなかった。 「では、協力していただけますかね」 その確認に、 「はい!もちろんです!」 木俣は大きな声で答える。 「では」がさがさと机から田中が何かを取り出した。 「こちらが『ベター・ライフ』です」 田中の手に握られているのは、まるでVRゴーグルのようなシロモノだった。ベタースリープがニット帽のような見た目だったから、そういうものだと思っていた木俣は驚いた。 「随分かたちが違って驚いたでしょう?映像・音などを使って脳波を調整するんですよ」 「へえ…」 田中の手の中のそれをしげしげと覗き込む。 「さあ、ではあなたも忙しいでしょうから、手短に済ませましょうか」 「あ、はい。よろしくお願いします」 木俣は椅子に寝転がり、手渡されたゴーグルを装着した。 視界が真っ暗になる。 何も見えない。 「では、始めます」 パチン、と音がする。部屋の電気を切ったのだろうか?本格的に木俣の視界は真っ暗になった。 「え、田中さん?え?」 木俣は困惑し呼びかけたが、返事はない。 やがて波音のようなものが聞こえてきた――スピーカーが内蔵されているのだろうか? ちらっ、ちらっと目を凝らさなければ見えないほど微かな光。木俣はそこに視線をやった。 波音。かすかな光。それらに包まれるように、木俣は徐々に徐々に意識を手放した。           * リラクゼーションプログラムは三十分間だ。しかしおそらく木俣には、それが無限に近い時間に感じられていることだろう――。 ぴぴ、と小さな音が鳴って、田中はプログラムが終わったことを知る。 部屋の電気をつける。木俣のもとへ歩み寄った。木俣はぐったりとその逞しい体を椅子に預けている。口がぼんやり開いている。目元はゴーグルで見えない。 田中は何も言わず、木俣の目元のゴーグルを外した――現れた木俣の表情は弛緩しきって、うっすらと開いた瞼からは白目が覗き、わずかに見える黒目はあさっての方向を向いている。半開きの口からは脱力した彼の肉厚な舌がでろんと見え、口元から涎がだらしなく垂れていた。 およそ30歳を過ぎた敏腕営業セールスマンとして……どころか、人間としてありえないほどの知性の感じられない表情だった。 その口から、……へぁ…、…へぁ……、と犬のように淡い呼吸を漏らしている。 リラクゼーションマシン『ベターライフ』によって導かれる、極限のリラックス状態。 それは、人間としての最後の防衛本能すら解除している。 全身どころか精神のすべてを完全に『リラックス』させた木俣は、椅子にその逞しく肉感的な体をだらしなく預けている。 木俣は今、すべての心の扉が完全に開け放たれていた。 まるで生まれたばかりの赤ちゃんのような、すべての言葉を従順に受容する状態。 乾いたスポンジに水がやすやすと行き渡るかのように、今の木俣の心はなんでも真実として貪欲に吸い込むだろう。 彼の中のすべてが失われていた。常識も、認識も、記憶も、すべての固定観念がとろとろに溶けて、まるで耳から流れ出てしまったように。 田中は木俣の下半身を見た。むっちりと逞しい太ももが、ストライプのうっすら見えるネイビーのスラックスにぱつぱつに収まっている。高級感のあるこのスーツは、間違いなくオーダーメイドだろう。体格や雰囲気などからがさつに見られがちだったので、彼は身なりには気を配っていた。田中の手がその二本の太ももの間の膨らみに伸びる――その膨らみもまた、完全に脱力しきってだらんとしているが、それでもかなりずっしりと体積があることがわかる。 むにっ……。 田中の手がその膨らみを掴んだ。柔らかく肉感的だ。 股間を男に揉まれても、それを木俣は認識することができない。いや、正確には認識はしているが、その現象の意味を感じることも考えることもできないのだ。彼の中にあるのはただ股間を揉まれているという事実だけ。 だから彼が執拗にそこを握ってその重さを確認したり、睾丸をほぐすように揉んだりしても、木俣はぼやっと遠くを見ているだけだ。 田中はそのまま体を傾けて、木俣の股間に顔を埋めた――身なりに気を配っている木俣は、もちろん自身の体臭が他人より強いことを自覚していた。そして対応をとっていた。ボディーソープ、洋服の洗剤、デオドラント、香水。腋や、首筋、そして耳の裏。相手に不快感を与えないようにと配慮された気遣いだったが、無論それは股間にまでは及んでいない。スーツの股間に顔を埋めて嗅がれることなど、木俣は想定していない。 なので、そこからは雄の本能的な臭気が強く薫った――小便のにおい、汗の匂い、雨の後の蒸れた草のようなじめっとしたにおい。普段の彼から香る高級で爽やかな香水のにおいではない、獣じみたにおいだった。 すーすーとしばらくその色香を堪能し満足した田中は、いよいよ本筋に入ることにした。 立ち上がって木俣の顔を覗く。彼は変わらず深く深く、完全なリラックス状態の中にいた。 田中は机からバインダーを取り出し、検査項目にチェックを入れる。瞳孔の開き具合、筋肉の脱力感、発汗と勃起の状態などを確認し、カルテにペンを走らせる。すべてが問題なかった。 さて、はじめようか。          * 「木俣さん、聞こえますか」 声が聞こえた。木俣は質問に答える。 「は、い…きこえ、ます……」 柔道で鍛えた太い首の喉仏が動いて返事をする。木俣はその逞しい体に似合う低い良い声をしていたが、その声も今はどこかぼんやりとして精彩がない。 先ほど田中が案内した通り、木俣は実のところ眠っているのではない。 かと言って、無論通常の覚醒状態でもない。 彼は目が覚めた状態のまま、『ベターライフ』という装置によって、全ての精神防御を取り払われた『究極のリラックス状態』へと強制的に導かれたのだ。 「今、どんな気分ですか?」 「なんか、すごく……ふわふわして……夢の中に…いるみたい、です……」 田中は記録をカルテに書き込む。 「木俣さん、これはなんだかわかりますか?」 田中は木俣の目前に人差し指を立てて示した。 半開きで白目を剥いていた木俣の目が、とろとろと動いて視線を指に合わせる。 「それ、は…田中さんの、ゆび、……です……」 そう答えながらも、木俣の目元には力がない。 「そう、これは私の指です」 田中はそう言いながら、それを木俣の唇にぴとりと当てた。 「しゃぶってください」 そう言うと、木俣はそれをゆっくりと咥え込んだ。ぼんやりと半分目を閉じ、ちゅぷ、ちゅぷと懸命に指をしゃぶっている。 言われたからそうしている。 木俣の認識はそうなっている。 言われた通りにする。反対することも、反抗すること、どちらの選択肢も今の木俣には存在していない。 「そう、もっと舌を絡めて。いやらしくしゃぶるんだ」 田中がそんなおかしなことを言っても、木俣は従順に従うほかない。 その幼児じみた表情に俄かに娼婦のような色を浮かべ、鼻息荒く田中の指をおしゃぶりした。 ――俺は指をいやらしくしゃぶる―― それが今の木俣の認識できるすべてだった。 木俣は命令通り、いやらしく指をしゃぶった。それはまるきり何もフェラチオと変わるところはなかった。 仮に今彼の前に差し出されたものが逞しい男根であったとしても、彼は従順に従っただろう。 田中は指を引き抜いた。木俣はふぬ、ぬふぅと名残惜しそうな鼻息を漏らしていた。 「いい子だ。ちゃんとできたね」 木俣の短く刈った頭部を撫でてやると、木俣は嬉しそうに破顔する。 褒められれば嬉しい。それが当たり前だ。 そして木俣の中で、田中に対しての従順さが教育されていく。 命令に従えば誉めてもらえる。その単純だが力強い構図に木俣は落ち込んでいく。 「木俣くん、立ちあがろう」 田中が言う。 「は、い」 ぼんやり木俣は返事をして、緩慢な動作で椅子を降りてその場に立った。強い『リラックス状態』にあるため体にうまく力が入らないのだろう、よろよろと手をつきながら、若干傾いた姿勢で立ち上がる。首も重たいのか頭も傾けている。口は相変わらず締まりなくぼんやりと開いている。 田中はカルテを置くと、おもむろにその頭を引き寄せて唇を奪う。 田中の舌が木俣の唇や歯茎、舌をじゅるじゅると陵辱しても、木俣はうつろな目で宙を見つめているばかりだ。 鍛え上げたシャツに浮かぶ胸を乱暴に揉まれ気に入っているスーツが乱れても、尻を両手で掴まれて揉まれても、木俣はそこから何かの意味を感じ取ることができない。 一通り行為を終えた田中が木俣の股間の状態を確認する。そこは相変わらずずっしりと萎えたままだ。 「――よろしい」 木俣は再び彼の元へ『ベターライフ』を差し出した。 「さあ、次のステップだ。君は今、『極限のリラックス状態』にいる。そんな君に、今から『よりよい人生』を送るための教育を施す。君はこの『ベターライフ』を装着し、それを学習する。学習することはとても嬉しい。君はこの会社のために生きていく素晴らしい存在になれる。君はそれがとても嬉しい」 ぼんやりしていた木俣の顔に、うっすらと喜びの表情が浮かんだ。 嬉しい。俺はとても嬉しい。 それだけが真実として木俣の中に刻み込まれる。 「さあ、持って」 田中が木俣にそれを手渡す。木俣は大きなゴツゴツした手でそれを持ち上げる。 「頭につけよう」 自分を完全に書き換えるその装置を、なんの躊躇もなく装着する。それが意味するものを、木俣はもちろん理解している。 俺はこれから書き換えられ、よりよい人生を、よりよい生命を与えられる。 嬉しい。嬉しい。嬉しい。 「――では、いってらっしゃい」 (続く)

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