大らかな鐘の音が商業都市ペンデに朝を告げる。
市場を、城門を、酒場を、そして寺院を白い光が通り抜ける。
多くの人々は少し前から起き出し、仕事の準備を始めている。
家々からは白い煙が上がり、大通りは喧騒の予感を漂わせる。
「今日も来光の契約履行に感謝いたします」
寺院の本堂から出てきた彼もまた一日を始めようとする。
質素な布を小さな体にゆったりと巻き付けた姿は契約神に仕える神官のいでたちだ。
彼はテュシアと呼ばれている。
本堂の掃除を終えたテュシアは彼の仕事場へ向かうところだ。
大きな本堂を回り込み、裏庭へ向かう。
その途中、お使いから戻ってきたメイドが庭師と雑談に花を咲かせている。
テュシアはメイドたちに挨拶し、彼らもまた朝の挨拶を返す。
「誰だっけ?」
「見習いさんだ、神官様の」
「ああ、三十近いのにまだ神官見習いってあの」
「おい! 声が大きい!」
「……聞こえてますよ~」
テュシアは口の中でそう呟き、裏庭に繋がる扉の鍵を取り出す。
建付けがやや心配になる手応えを感じながら鍵を回す。
堅牢な扉を開くと、そこは裏庭と呼ぶには少々気取り過ぎと思われる雑木林が広がっている。
「今日も問題無し」
やがて来る夏の予感を感じさせる下草の緑を踏みながら、テュシアは自分の仕事場へと向かう。
あの言われようだが、テュシアは満足してる。
9年前、この街にふらりと現れた身寄りのない自分が今、職と呼べる何かに就いている事だけでも僥倖だと思っている。
むやみに広い裏庭も季節の移ろいを楽しむにはちょうどいい。
ミツバチの羽音とコマドリの囀りを充分に楽しんだ頃、テュシアの目に粗末な小屋が見えてきた。
浄罪室。
人の法では裁けない罪を犯した者が過ちを告白し、心を浄める場所。
小屋は南北二つの出入り口、南北二つの部屋を持つ。
一応の神官であるテュシアは北の扉から入る。
南北の部屋を隔てる壁に設けられたガラス窓を通して南の部屋から差し込んだ光が舞い上がった埃の軌跡を照らす。
テュシアは窓の前に置いてある古ぼけた椅子に座る。
彼の仕事とは、一日中この浄罪室で待つ事だ。
心の浄めを望む者の話を聞き、共に契約神に許しを乞う事だ。
と言っても、来訪者は滅多に無い。
最近はますますそうだ。
2年前の英雄戦争で魔王が滅ぼされ、条約が結ばれ、今は街の誰もが太平の世で金儲けに精を出している。
平和と多忙の戦後。
そんな時代に己の罪を顧みる人は少ない。
だから、テュシアは今日も待つ。
苦ではない。
待つことには慣れている。
「邪魔する」
「!」
物思いに耽りかけたテュシアは椅子から飛び上がらんばかりに驚く。
ガラス窓から南の部屋を覗くと、扉の無い南入り口からの光を背に男が立っているのが見えた。
大きい。
いや、大きすぎる。
天井に頭を擦らんばかりの長身。
視界を埋め尽くすような筋肉の山。
これほど巨大な男は間違いない。
英雄だ。
英雄戦争。
2年前、魔王配下の大量の魔物が大陸中を同時に攻撃した。
力を蓄えた魔王の率いる魔物たちは海を、山を、平原を飲み込んで人の領域にまで迫った。
しかし、選ばれた男たちが立ち上がった。
彼らは文字通りの一騎当千、いやそれ以上の力で魔物たちを薙ぎ倒し、人々を守った。
そして、ついに魔王は討たれた。
人々は男たちを英雄と呼び、英雄戦争の勝利を祝った。
「どうぞ」
テュシアは声を潜めて着席を促す。
男は大人しく窓の前の席に着いた。
「……」
短く刈り込んだ黒い髪も髭も渦を巻き、男の表情を分かり辛くしている。
だが、テュシアはこの男に見覚えがあった。
というより、この国の人間なら誰もが知っているであろう防りの山人。
「ガンマと言う。ここで罪を告白してもよいだろうか」
「お名前は必要はありません」
いきなり名乗られてテュシアの方が動揺してしまう。
だが、防りの山人らしくもある。
彼が山から下りてくることは多くないが、世界を救った英雄の一人にして朴訥な人柄は街の誰からも好かれ、尊敬を集めていた。
そんなガンマが一体どんな罪を告白しようというのか。
「あなたが誰であるか。あなたがどんな罪を犯したか。誰にも知られることは有りません」
そう囁くと、窓の向こうの大男は心地良い低音で語り始めた。
(続く)